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日本語、独語、中文&ハングル [中国語あれこれ]

                                                .by ぼくあずさ


ぼくあずさの独り言

此処のころ、連日夕立があり気温も30℃を然程越えず、凌ぎ易くなった。今日10時半、書斎は31℃、78%ですからクーラーの効いた居間に逃げ込む必要がない。

村尾、月川、森田の諸兄他の時々懇のメンバー間のメールで“言語”が最近話題になっており、真に興味深い。私は昨年6月に品川のつばめグリルでの例会に誘われ特別に参加した。12名ほどの集まり、ビヤを呑みながらの談義。機械科の面々の面影が徐々に浮かぶ。
http://dorflueren.blog.so-net.ne.jp/2011-06-07-2 

つばめグリルは川崎工場勤務時代、帰宅途中の品川駅で下車して時折立寄った。討論に参加するほどの学識が乏しい私は、独り言でお茶を濁すことにしました。


日本語

仮名文字交じりの日本語の発明は日本人の心・魂を鍛錬する上で大きな役割を果たしたと勝手に推察しています。


独語

Siemens時代は3人の先生から週4回、8時間の特訓を無償で受け、必死に学んだドイツ語も残念ながら私には一外国語に過ぎなかったことを最近痛感しています。

5年程前に上田敏の「海潮音」に記載のドイツ人が書いた詩の原本を探していた折にネット上でギムナジウムの元校長 Herr P.Messerschmidt が書いたStorm Immensee についての考察を読みました。これがご縁で、その後Peter夫妻の旅行記を拙ブログに抄訳を掲載しています。
ドイツ語は中国語の対極にある厳格な文法をもつ言語であるとの考えは私の錯覚でした。


中文

1965年のテントを担いだ9泊10日の台湾周遊で出会った親切な台湾人、文化大革命中の1972年初夏の北京と秋の上海での計40日間と2週間の日中技術交流会で若い私の技術説明を熱心にノートしていた中国人技術者や大学教授たちの姿は今でも忘れ難いものです。

会社方針で中国との提携を模索していたころ、3年間ほど、鶴見の中国語会話教室に通いました。産学協同が進む中国、精華大学、天津大学、同済大学、浙江大学を訪ね歩きました。東電の紹介で知合った母娘二代で日本留学の経験のある方(東大で化学の博士号取得)が、すべてアレンジしてくれました。人間関係を極めて重視する中国社会の仕組みを知りました。まるで「一元さんお断り」の中国版です。
中国語の学習は良好な人間関係作りに不可欠です。
上海では早期に工場経営を始め、そこそこ利益を出している日本人社長から色々とアドバイスを貰いました。最終的に、私の考えで調査段階から先へ深入りしませんでした。


ハングル

サムスンと熱関連事業での交流がありました。ソウルの街の看板が
読めない不便を解消する為に初級ハングルの教科書を読みました。
世界で最も優れた言語と喧伝されている物の正体は漢字の発音記号表示でしたから、漢字に変換して意味が理解出来ました。それで、ハングルは私の興味の対象から外れました。


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コメント 2

村尾鐵男

ぼくあずさ氏が御指摘の通り、ハングルは発音記号の羅列です。世界一の言語と自賛しますが、元は漢語です。何が世界一なのか理解に苦しみます。要は日本から移入された漢語を隠すための方策がハングルなのでしょうか。
中国語も最近は発音記号としてアルファベットを盗用しています。創作短編に出てくるハルピンはHarbinと発音記号を付しますが、NHKのアナウンサーがハルビンと読みます。発音記号のbは弱く発音するpで、bそのものではありません。ただ中国人の耳は濁音と撥音の聞き分けができず、中国人にはハルビンでも通じます。
横浜は中国読みでパンピンで、バンビンとは読みません。NHKも時折奇妙な言葉遣いをするようです。
by 村尾鐵男 (2012-09-04 15:12) 

ぼくあずさ

村尾さん
縁故疎開中に覚えた歌詞を記憶してます。
確かにハルピンでした。

いちれつ談判破裂して・・・ 
ハルピンまでも攻め入ってクロパトキンの首をとり・・・
http://mippi.jp/mmland/ichiretsu.htm 

by ぼくあずさ (2012-09-04 16:07) 

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