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こげ茶色の細い竹 -20/21 [北陸短信]

刀根 日佐志

 このままでは、面倒な事を考えねばならない。病院で治療を続けて欲しいと思い、次郎はもう一度同じことを聞いてみた。
「家へ帰って何をするのですか」
「家に帰り、これで……終わり……」
 先生は言葉を選んでいる。私には最後の大仕事がある。この時に至って酸素、点滴、心電図、こんなものは無用の長物であると、言わんとしているのであろうか。次郎は白髪が乱れ、顎の細った先生の顔を、見つめ直した。
「先生、ご自宅へ電話して、奥様の了解を得て下さい」
「それは……自宅に着いた……とき……話す……」
 次郎は医師に、相談に行こうかとも考えたが、とうに先生が自らお願いして、許可が下りなかったと考えた方が自然である。とすれば、医師の話を聞いている息子さんに、頼んだとしても同じ返事なのかもしれない。
  
最後の声を喉から絞り出すように、自分の切実な願いを訴えている。先生からの、たってのお願いである。できることなら、何とかして上げたい。
  
せめて、先生の奥さん、息子さんの了解を取らねばならない。それは、車の中から電話で、事後承諾を得ることにしよう。これ以上、難しいことを考えていても、前へは進まない。
  
次郎は携帯電話を取り出すと、会社に電話を掛けようとしたが、いったんはとどまった。難しい問題を背負いかねないと少し考えていたが、眼前の先生の顔に目を遣ると、また電話に手をかけた。先生の願いを叶えるために、自分がその責めを受けようと決断をした。
  
電話に出た社員に、次郎は携帯電話を握る手に力を入れて早口で叫んだ。
「君と体の大きい者二人で、ワンボックスカーに乗って、T市の住安病院へ急いでくれ。詳しくは、来たときに話す」
 
それから、若い二人の社員が、病室に着いたころには、先生は自分で点滴のチューブを取り外し、全ての準備が終わっていた。
「君たちは思いの外、早く来てくれた。先生にコートを着せてから、両肩を二人で支えてくれ。俺が先導するから、エレベーターに乗せ、下まで降り、車に乗せてくれ」
  
先生の両肩を、二人の屈強な若者が支えていた。だが、先生の体重がもたれ掛かると、彼等は歩きにくそうであった。
  
次郎が先に立ち、病院の玄関に出た。見舞い客と思われる数人が通り過ぎたが、何も気付かれた様子はなかった。幸い、看護師とは出会わなかった。車の中まで担ぎ込むと、先生は疲れを癒すように眼を瞑り、じっと、後部座席に横になり寝ていた。


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