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マンガになった釈迦とキリスト」(渡部昇一著、倫風2011/12)の紹介 2/2 [明治維新胎動の地、萩]

                  By N.Hori


一神教の国の若者たちが、こういうマンガを争って読み、かつ楽しんでいるのはどういうことなのだろう。一神教の「神」を相対化していると言ってよいのではないか。

ひたすらあがめられるべき対象を、相対化したのは江戸時代の石門心学(石田梅岩が祖)の人たちである。人の心を宝玉のようなものだとイメージしてそれを磨くのが修養であると考え、た。そして心を磨くための手段、つまり磨き砂としては、神道の教えでも、仏教の教えでも、儒教の教えでも、何でもよいとしたのである。つまり宗教・宗派を相対化して、すべて「心」という宝玉を磨く材料としたのであった。


この日本独特の思想を明治維新後に日本で開花させたのが、講談社の創立者・野間清治であった。最も講談社らしいのが「修養全集」12巻である。この中には乃木大将も、マホメッドも、キリスト教徒も儒学者も出てくる。その第1巻の折り込みに、釈迦とキリストと孔子が静かに語り合っている絵が出ている。しかもこの三者の表情が実にすばらしくよい。私は「日本独自の哲学があるか」と言われたら、この絵を出したらよいと思っている。私の知る限り、この絵を描けるような哲学は日本にしかない。

さらに野間清治はこの精神を彼の出版するすべての本や雑誌の中に示した。戦前刊行された国民雑誌「キング」には、神道や仏教の偉い人のほかに、キリスト教の宣教師もよく登場していた。キリスト教と全く関係ないところで育った私もそのおかげで賀川豊彦や山室軍平やヘルマン・ホフマンというキリスト教徒の名前を知っていた。


そして、「キング」の読者たちは、皇室や神社を尊敬し、偉い坊さんたちを尊敬し、東郷,乃木というような軍人を尊敬しながらキリスト教の宣教師たちにも敬意を払うようになっていたと思う。マホメッドは当時はほとんど日本人の意識に入っていなかったが、私はやはり講談社の出版物で読んで知っていた。

西洋でカトリックとプロテスタントが仲良く共存を始めたのは、30年戦争(1618~1648)の後で、啓蒙思想の浸透によるものである。


日本は啓蒙の先進国である。カトリックとプロテスタントの共存が西洋の第1次啓蒙とすれば、キリスト教と仏教の共存は、西洋の第2次啓蒙ということになるのではないか。その引き鉄の役目が日本のマンガがしているとすれば愉快な話である。イスラム圏にも啓蒙が行われ、釈迦とマホメッドが日本旅行することがマンガになる時代が来れば、と思う。

                        完


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村尾鐵男

かの徳富蘇峰は「講談社は私設文部省である」と激賞しています。
我が家のお寺にはキリスト教の尼さん達がしばしば現れて和やかに住職と話をしています。初めは不思議な光景を見たように思いました。でも度重なると日本では普通の光景となるようで、違和感はありません。
by 村尾鐵男 (2012-07-21 07:22) 

N.Hori

海を渡るさん、アルマさん、rtfkさん、niceを有難度うございました。
村尾さん、コメントを有難度うございました。日本の古来の神道では、すべての人(亡くなった人は、仏教のように戒名はなく、皆、平等に「俗名+命(みこと)」の神になります。身の回りのものにも神が宿り、八百万の神を認める多神教ですから、宗教に大らかです。
by N.Hori (2012-07-22 09:48) 

カピバラさん

ご紹介のマンガ『聖☆おにいさん』も講談社刊です。
アナンダ、ペトロ、ミカエル、梵天など、それぞれの弟子や天使、神はもちろん、日本の九十九神や「トイレの神様」まで登場します。
by カピバラさん (2012-07-24 00:17) 

N.Hori

あゆさこさん、niceを有難度うございました。カビバラさん、コメントを有難度うございました。
by N.Hori (2012-07-25 18:47) 

N.Hori

あゆさこさん、niceを有難度うございました。
カビバラさん、コメントを有難度うございました。
by N.Hori (2012-07-25 18:50) 

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