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四国のバス旅行に行ってきました -2/2 [明治維新胎動の地、萩]

                                          by N.Hori

その後、坂出の瀬戸大橋記念公園のリング型の展望室が回転しながら上るタワー(高さ108m)から瀬戸内海中央一帯を眺めた後、松山市内まで走り、昼食を摂ってから、今治に戻る無駄なルートで、島伝いの「しまなみ海道」で大三島に渡り、

大山祇神社4.JPG大山祇神社1.JPG








日本の総鎮守と呼ばれる「大山祇(おおやまずみ)神社」を参拝し、大島に戻り、亀老山展望台に上り、西瀬戸内海の眺望を楽しみました。

泊りはまた松山に戻り、日本最古と言われる「道後温泉」でした。内湯もありましたが、道後温泉本館(通称「坊ちゃん風呂」)と呼ばれる外湯(公衆浴場)へも行きました。明治時代に出来た古典的な公衆浴場の良いアルカリ湯で、良い体験でした。

第3日は、道後を7時50分に出て、砥部焼陶芸館を覗き、内子護国の町並みを散策し、宇和島の真珠会館で昼食を摂り、四万十川の下流を船で遊覧しましたが、河口に近い汽水域(海水と川の水が混じる地域)なので、水底が見えませんでした。船頭曰く「水が透明でないのは期待外れかもしれませんが、汽水域の漁にとっては、現状がプランクトンも多く、一番良い状態です」と開き直った話でした。

はりまや橋と高知城を車窓から見て、宿に着きました。宿は、土佐の殿様、元山内公の下屋敷だったところで、門構えや湯殿は当時の雰囲気を残していました。ここも高知市内で、天然温泉を掘り当て、温泉旅館になっており、元殿様の湯殿を体験しました。

第4日は、旅館を8時に出て、坂本竜馬の誕生地碑を車窓から見て、桂浜に向かい、長宗我部元親の銅像と坂本竜馬の銅像を見て、中国山脈へ上り、吉野川の支流の祖谷の「かずら橋」を渡りましたが、木の蔓で出来た橋ですので、最近のはやり言葉で“想定外に多くの観光客が来て、切れて落ちた”と言って欲しくないと、皆ブツブツ言いながら渡りました。かずら橋は通路の隙間が思っていた以上に大きく、20cm角ぐらいありましたので、スリルがありました。その後、大歩危峡で、蕎麦の昼食を摂り、遊覧船に乗り、両岸の崩れた岩石は壮観でした。

大歩危から池田、琴平経由で、高松空港に走り、16時40分のJAL便で羽田に飛び、無事、帰りました。ルートに不可解なところが2、3あり、時間に追われるツアーでしたが、まずは、楽しい旅行でした。             完。


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村尾鐵男

私の小学校の修学旅行は高知城と桂浜でした。
土讃線で大歩危、小歩危を通るのですが、いつか大事故が起きるだろうと言われた峻険を走り抜けます。
御無事の御帰宅、何よりです。
記憶が殆ど消えていますが、当時は食糧不足の時代でした。同じ四国でも、香川県は瀬戸内海で獲れる小魚しかなかったのですが、高知では土佐湾で獲れる大きな魚が小学生一人ずつ一尾が出されて歓声を上げたことだけは覚えています。
by 村尾鐵男 (2012-05-20 09:06) 

N.Hori

アルマさん、xml_xslさん、niceを有難度うございました。村尾さん、コメントを有難度うございました。私は、四国へは3、4度目で、高知や足摺岬へも行っていますが、大学時代、祖母のお供をして、今のしまなみ海道の「大島」に、日露戦争の日本海海戦について、「此の一戦」を書いた「水野広徳」大伯父の実家を訪問しました。当時は、尾道から今治への島伝いの航路で行きました。今回は、ツアーに参加したので、実家へは訪問できませんでしたが、近くを通り、懐かしかったです。

by N.Hori (2012-05-20 17:09) 

N.Hori

rtfkさん、hanamuraさん、夏炉冬扇さん、niceを有難度うございました。
by N.Hori (2012-05-20 21:32) 

N.Hori

裏・市長さん、niceを有難度うございました。
by N.Hori (2012-05-21 08:36) 

N.Hori

海を渡るさん、niceを有難度うございました。
by N.Hori (2012-05-21 20:26) 

N.Hori

あゆさこさん、niceを有難度うございました。
by N.Hori (2012-05-25 21:39) 

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