須磨歴史散歩:在原行平(中納言行平) -2/2 [和田の泊りより]
話が脱線しますが田井畑には「鷲尾」姓が多い。義経が一の谷を攻める際に道案内の猟師に鷲尾三郎を名乗らせたのが始まりだとか。
ここで「松風」「村雨」の墓及び彼女等が水鏡に使ったという「鏡の井」(名前は立派だが水面には枯れ草が浮いていてとても鏡になりそうもない、周囲は立派だがせめて水面だけでも綺麗にして欲しい)と義経腰掛の松を見る。(地元では”ほんがんさん”[判官さん]と呼ばれている)そして厄除八幡宮。総べての写真はクリックで拡大します。
ここの鳥居は石造りの立派なものがあったのですが例の阪神淡路大震災で倒壊してしまい。現在は木造のものに作り換えられている。参詣したのち再びバスに乗り、こんどは松風村雨堂に向かう。
堂と言っても現在は普通の民家のようなもので庭内に縁の衣掛けの松、歌碑などがある。因みにこのあたりには稲葉町、松風町、村雨町、行平町、衣掛町など故事に縁の町名がある。
これらの町を歩いて最後は須磨の海岸に出て和田岬にあった旧灯台を移設したものをみて散歩の終わりにした。
月川@神戸
さすがは須磨の故地、往時を偲ばせる遺跡が多々ありますね。
ゆっくりと観て歩くのには恰好の土地柄と推察します。
by 村尾鐵男 (2012-05-02 07:40)
三菱重工の工場見学後、学友と別れ地図にある和田岬をめざし
独りひたすら歩きました。写真にあるような美しい海は見当たり
ませんでした。私の学生時代からの幻の灯台です。
by ぼくあずさ (2012-05-02 10:21)