須磨歴史散歩:在原行平(中納言行平) -1/2 [和田の泊りより]
今回は在原行平です。
百人一首の「たち別れ いなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば今帰り来む」 の作者で、美男子で有名な在原業平の兄です。
その彼が文徳天皇の勘気を蒙り須磨に配流されます。その時、汐汲みに出た田井畑(たいのはた)のむらおさの娘「もしほ」と「こふじ」と出会い、この二人を「松風」「村雨」と名付けて寵愛します。
のちに勘気がとけて都に帰る際に傍らの松の木に烏帽子・狩衣をかけて形見に残します。
上記の百人一首の詠は、任地であった因幡の国に下向する際の詠んだものというのが一般的ですが、この離別の際に詠んだものということにもなっています。
そののち松風・村雨姉妹は尼となって行平の旧居に庵を結んで彼を偲ぶのですが、この庵の跡が松風村雨堂として今も残っています。
地理的には田井畑は一の谷の北方3kmほどのところにありこの姉妹が汐汲みに出るには一寸遠い様な気もしますが或いは海女をしていたのかもしれません。
と言うことで一時間に一本しかないバスでまず田井畑に向かいます。田井畑には厄除八幡宮があり毎年初詣に往くところです。
源義経が一の谷の平家軍を攻める前にここで祈願し一休みしたと言うことで腰掛の松(左の写真)というのがあります。
月川@神戸
アルマさん、rtfkさん、xml_xslさん
nice vielen Dank!
by ぼくあずさ (2012-05-01 11:34)
つい一月半ほど前の3月17日、東武線の「業平橋」駅が「とうきょうスカイツリー」駅と改称されました。
またまた歴史が一つ消えてしまいました。
by 村尾鐵男 (2012-05-01 21:30)
そうなんですかぁ。(*^_^*)
百人一首では、16番目に、「あゆさこの簡単解説」でアップしますねぇ!(笑)
GW中に、娘達の所に行ってきましたので、訪問が遅くなってしまいました。(_ _)ブログの内容も、ちょっと、時期がずれてしまいました。(..;)
by あゆさこ (2012-05-10 00:29)
月川さん
コメント投稿にトライして下さい。
よろしく。
by ぼくあずさ (2012-05-10 02:48)