SSブログ

ギリシャから考えること [サンアントニオ短信]

.

皆様

先のギリシャ問題の続きを書きました。

.

今のギリシャから連想することは、官僚がはびこり、金持ちの殆どが脱税し、汚職天国、そして生産性の低い国でしょうか。 結果、GDP比160%の債務を抱え破産寸前でEUにもてあまされている国。 一方では青い海に囲まれた歴史の宝庫、底抜けに明るい人々が暮らす、一度は行って見たい国。

.

他国を理解することはまことに難しい、これは私が20年以上すんだ米国についても言えることです。 場所が変われば、同じ移民の国とはいえ人が変わります。 司馬遼太郎が昔言っていました。 アメリカ人は自分の前の空間を言葉で埋め尽くさないと不安だ。 乗り物で隣に座る人間は自分とは違うという前提で言葉を尽くして説明する。 日本人は、俳句の表現にもあるように、言い尽くすことはしません。 

そこにはその情景を各々の情感で味わう良さもありますが、相互理解でのあいまいさを残します。 前に俳句の英訳が話題になりました。

俳句の翻訳は至難の業でしょう。 明治時代、日本語はこれからの近代化を進めるには不適切な言葉として、日本語を英語やフランス語に置き換えようとした人々もいました。

.

料理も言語同様に重要な文化の一部です。 アメリカには移民が持ち込んださまざまなお国の料理があります。 私の限られた経験でも、最初まずいと思ったメキシコ、トルコ、ギリシャ、ベトナム、タイなどの料理、今ではテキサス、インド、イタリア料理と並び我々の外食メニューに定着しています。 最近の例はトルコ料理です。 家内は旨いと初めから言っていましたが、私にはもう一つでした。 その後、料理の選択、食べ方がわかってくると旨いと思うようになります。  やはり、他国の文化の理解には時間とその付き合いの幅と深さが必要です。 

これは日本人同士の理解にも言えることで、数回の接点からでは理解することはできません。 

大嶋 邦夫

.

ギリシャ化への道 [サンアントニオ短信]

http://dorflueren.blog.so-net.ne.jp/2012-02-23-2


nice!(7)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

nice! 7

コメント 1

村尾鐵男

外国人を理解すること、大嶋さんが書く通り、これほどの難事はありません。
かなり前のことですが、TVで観た画面が忘れられません。旧満州へ残して来た孤児が、身元が判明して日本に住む親の許へ帰国しました。孤児とは言っても既に40歳近い女性です。
その母親が小声で呟く言葉がTVに流れました。
「食事を作ってくれるけど、何しろ30年も外国人に育てられてしまったから、私の口には合わないんですよ。掃除の方法も違うし、買い物では値切るし、総てが違う。一緒に暮らせますかね」

by 村尾鐵男 (2012-02-24 08:40) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。