侍文化と向坂甚内 [サンアントニオ短信]
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梅邑貫さん.
向坂甚内10回の連載ご苦労さまでした。先週近くの議論仲間がSamuraiという本を持ってこられ、内容についての意見を求められました。
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侍の歴史、日常生活、甲冑、武器、戦闘そして著名な侍が紹介されており、私にとっても初めての話が多く困りました。 戦後GHQが侍文化に冷淡で大事な日本文化伝承に溝ができたなどと言ってお茶を濁しました。 この本に引用されている宮本武蔵はともかく馬場信春、武田信玄家臣などについ
ての意見を求められると困ります。
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向坂甚内が出てくれば悪党と決めつけられたのですが、さすがに登場しませんでした。 重要な日本侍文化についての体系的知識の欠落を思い知らされました。 むしろ1950年代のアメリカ映画については対等近くに渡り合えるのに困ったものです。 ご参考まで写真2枚添付します。 うち一枚は宮本武蔵です。大嶋邦夫
大嶋さんへ
大変興味深いお話を有難うございます。
私は侍の世界にそれほど通じているわけではありませんが、侍の精神構造は突き詰めると「矜持」にあると考えます。英語で言えば、Rride とか Diginity と言えるのでしょうか。
「武士は食わねど高楊枝」とか自己の正当性を主張する手段であった「切腹」も矜持の表れでしょう。
町民、即ち、庶民にとって侍は怖い存在でした。それは、刀で斬られるかも知れぬ怖さではなく、町民がとても及ばぬ高い矜持を維持していたからで、だからこそ、怖いと思いながらも侍による統治に従いました。
たとえば、大岡越前守が庶民から人気を博したのも、「悪は悪」、「善は善」の明白な判断がその「矜持」の下で示され、加えて人情の機微も感ぜられたからです。侍の「矜持」は庶民の生活の軌範でもありました。
今の日本の世相、特に国会議員や政府の要職者にこの「矜持」が欠如しているか、不足しているのが残念なことです。
by 梅邑貫 (2012-01-30 09:13)
大嶋さん、村尾さん
侍ジャパンとか、なにかと侍という言葉が使われる昨今ですが、私にとり
侍は、「私は侍の孫だ」と苛めっ子を一喝した母の自慢話しか実感がありません。大嶋さんのオペラや高峰秀子時代の映画への造詣の深さ、私はとんと無関心で過ごしてきました。
村尾さんの云われる「矜持」欠如の政治家が多いとの御指摘、6,9月に
解散総選挙が噂されていますが、看板をチェンジした素人政治家が多数
誕生するのかと思うと気分が落ち込みます。
by ぼくあずさ (2012-01-30 12:26)