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早稲田大学鋳物研究所 [フリューレン村だより]

                                             .by ぼくあずさ

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ぼくあずさの独り言

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早稲田学報2月号に「鋳物研究所の正門」のタイトルで中江英雄教授が一文を寄せられた。私は3,4年生の時、横田研究室で学友Tさんと共に「チタンのヘリアーク溶接」研究の御指導を賜った。

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横田清隆教授にFD入社後お願いして川崎工場で6ヶ月に及び「減衰能を考慮した溶接設計」の御講義をして頂いた。終戦直後、先生が日本溶接学会会長の要職にあった時、工場を訪ねられことを後に知った。

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卒業実験の発表前の井口助教授(後に教授)の「最初に実験結果を発表しろ」とのアドバイスは今も忘れない。

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発表では意地悪な質問が某助教授から出された。所属研究室選択時に訳あって入室手続き辞退をしたことで心性が悪かったのか。

絶対正解しなければならない力学の原理、これを難なく答えた時、実験の実務指導をして頂いた江藤職員の満足そうな笑顔は記憶に残る。

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江藤職員から大学に残らないかと言われた。即座にお断りした。私は大学院で学ぶなど毛頭考えてもいなかった。学友の中沢名誉教授は企業で働いた後に大学に戻られた。‘61年当時は大学院に進学する時代ではなかった。

あの時、横田教授から直接云われたとしたら、即答することはなかったと思うが、結論は変わらなかったと思う。毎日よく勉強したが、学友たちのレベルに追いつくのが精いっぱいと自覚していたから。

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横田名誉教授は既に他界したが、井口教授はご健在なのだろうか。江藤職員に一度お会いしてお礼したい。覚えて居られないと思うが。

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横田研究室のT先輩から「ドイツ語の勉強をしているよ」と添え書きされた年賀状を頂戴した。そうだ、同じ横浜市に住む先輩に電話することにしよう。

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鋳研時代の想い出

鋳研がご縁で出入りしていた可鍛鋳鉄工場のオーナー宅で、オリンピック・メルボルン大会(‘56年)で中山毅選手(翌年早大に入学)が男子自由形400㍍で獲得した銀メダルを首に架けてもらった。

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鋳研前の緩やかな坂を下り、早稲田通りの直ぐ左手の亀鶴庵(跡はマンション)、昼は飽きもせず、いつも「たぬきソバ」を注文した。


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hanamura

中卒の私の分も今、長女は卒業前を楽しんでいるようです。
by hanamura (2012-01-29 15:27) 

ぼくあずさ

hanamuraさん
コメントありがとうございます。豊かな時代に育った世代、お嬢様が
大学卒業なされること、おめでとうございます。ご両親がお若いので
笑い声が絶えないさぞや愉しいご家庭と拝察します。
by ぼくあずさ (2012-01-29 15:57) 

村尾鐵男

ぼくあずさ氏の「鋳物研究所」報告は、早稲田の理工に所属した者が誰もが知っているのですが、鋳物研究所を短くして「イモケン」と呼びます。
ところで、その「イモケン」、懐かしいですね。あの坂を上って初めて「イモケン」を訪ねたときが思い出されま。、
by 村尾鐵男 (2012-01-29 17:30) 

早稲田大学鋳物研究所スキー部長

先輩諸氏へ

鋳研(イモケン)の門を朝早く自分で開けた日々が懐かしいです。

20年ほど前ですが・・・

何回、鋳研の地下(イモチカ)で徹夜したことか・・・

技術職員の方々には、本当にお世話になりました。

実験実習棟で他の研究室の先輩や後輩と鋳造実験をやったり、

ちょうどこの寒い時期に、ストーブを抱きかかえるように実習棟で徹夜実験をやったりと今となっては懐かしい思い出ばかりです。

当時を乗り越えたことが私の自信になっています。

中江先生にも本当にお世話になりましたが、この3月で定年です。

寂しい、本当に寂しい。

日本が人類史上、東洋の一発屋で終わるかどうか。。。。

今が試練の時です。

もちろん、この日本を一発屋で終わらせません。

そこに早稲田スピリッツがあるかぎり。

アジア大捜査線に戻ります。
by 早稲田大学鋳物研究所スキー部長 (2012-01-29 18:48) 

ぼくあずさ

村尾さん
コメントありがとうございます。
鋳研、今は呼び名が変っていますが。機械工学科と金属工学科が
共同で運営していたのだそうですね。それで、溶接工学の横田研も
鋳研にあったのでした。貴兄も鋳研にいたのですか?

早稲田大学鋳物研究所スキー部長さん
コメントありがとうございます。我々は36年卒ですから、中江先生は
存じ上げません。もしお手間でなければ、横田研の江藤職員の連絡
先が判れば、教えて下さい。よろしく。

皆さん
ご訪問とnice ありがとうございます。
by ぼくあずさ (2012-01-29 20:15) 

村尾鐵男

私の母の祖父は前田百万石の下級の貧乏武士でした。維新後に東京へ出て工部省で働き、国費でアメリカへ渡って鋳物技術を習得します。
帰国後、荒川土手にH製作所を設立して鉄道車輪と車軸の鋳造を始めました。関東大震災で工場は壊滅しますが、長男が再興したものの往時のようにはならず、次第に規模を縮小しました。
私が早稲田へ入ったころは、専らトロッコの車輪を製造しており、鋳研の指導も仰いでおり、私は使い走りで書類を届けたり、頂戴したりしていました。まことに失礼なことですが、当時お会いしていた鋳研の方々のお名前が思い出せません。
by 村尾鐵男 (2012-01-30 08:34) 

ぼくあずさ

村尾さん
鋳研との係りが深いことを知りました。
横田研の先輩Tさんに、今し方電話しました。毎週1回ドイツ語の輪講を
続けているそうです。横浜で久しぶりに会うことになりました。
by ぼくあずさ (2012-01-30 16:31) 

N.Hori

今年3月、ボランテイアでお手伝いしている企業の関係する技術「アルミ合金の半溶融・半凝固」の研究発表会があり、稲門の後輩の発表もあったので、久しぶりに鋳物研究所に行きました。発表後に港内見学があり、当時、鋳物作業実習で、砂型を作り、アルミニウムを鋳込んだ実習工場の雰囲気を思い出し、懐かしかったです。現在は鋳物実習は無くなっているそうですが、近く復活する可能性があるそうです。鋳物は、ものつくりの基幹技術ですので、是非復活して貰いたいものです。我々の学生当時、金属工学科があったのですが、材料学科に変り、現在は、機械系学科の中に、材料と加工のカリキュラムに残っています。





by N.Hori (2012-04-29 12:45) 

超硬冶金鍛造屋

 それにしても日立金属製の高性能冷間工具鋼SLD-MAGIC(S-MAGIC)の自己潤滑性の評価が高い。塑性加工金型のカジリを防ぐメカニズムが最近わかったようで、摩擦面に自動的にナノベアリング状の結晶が生成されるとのこと。耐カジリ性の指標であるPV値も通常の鉄鋼材料の6倍と世界最高水準と報告されている。
 これはどういうことかというと、例えば自動車のエンジンや動力伝達系部品のしゅう動面積を1/6にすることを意味し、大幅な軽量化による低燃費化が期待できることを意味している。トライボロジー技術にはまだまだ発展する力学的な未知が多いように思われる。
by 超硬冶金鍛造屋 (2014-05-25 20:19) 

ぼくあずさ

超硬冶金鍛造屋さん
コメントありがとうございます。URLの記載がありませんので、掲載不認可
扱いになります。再度コメントして下さい。よろしく。
by ぼくあずさ (2014-05-25 21:27) 

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