雨降り山・大山詣 [時々懇]
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時々懇(横浜連中):.
横浜在住の皆さん市内の新興住宅地に住んでいる様ですね。
当地先住民の方達が谷戸と幾つかある河川の両岸平地の良いところに先住してて恰好な空き地が少なかった。残された土地は皆高みにあった。高度成長期に丘陵や高台を切り崩し住宅地が広げられたわけだ。
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内藤、村尾、西崎、衛藤、西島、小生はみな新住民のようで、そのような高みに住んで居り海抜はみな30m以上だろう。これらの地での農業はキツく、農作業の大部分は水の運び上げだった。農家の成人丈では足りず子供たちまでも駆り出され、生活時間の相当部分が水汲みに占められていたと近所の古老達が良く口にしていた。
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その水が日照りで少なくなったら死活問題だった。(真夏の渇水期でも当市は断水ナシ!ありがたい) 雨降り山詣うで大山詣うでを繰り返し行った。ひたすら神頼みだ。
詣で当日は水を絶つ風習があり、特に帰路水を飲むとご利益にあずかれぬとの言い伝えがあったとも云われる。のどカラカラで堪らず水を飲んだ行者が龍にさせられ、ウチの裏にあ
瀬上池に住み着いたというご当地民話がある。.
朝暗いうちに発ち、勇躍男坂登り阿夫利神社お参りして、帰路女坂下った処で足がガクガク、これ以上歩けなくなりバスで帰った。ウォークを始めたゲンキな頃の小生の体験だ。昔の人たちは生活が懸かってたので真剣で、皆さん徒歩日帰りしたのだった。たいしたものだ。
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森田 和夫
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大山詣 [時々懇]
http://dorflueren.blog.so-net.ne.jp/2011-11-25-2
我が家の標高は60mです。
8月の暑い最中、津波に襲われたときの避難訓練をするとの通知があり、津波に襲われた避難民を受け入れる訓練の間違いではないかと回答しました。
私が今の場所へ越したのは昭和47年の暮れで、120世帯の分譲造成地への一番乗りでした。未だ水道の配管が工事中で、丘の下から150mの上り坂をホースで給水してもらいました。東京ガスが入ったのは5年ほど前のことです。
横浜在住の私達、皆が不便さに苦労していますが、津波だけは避けられます。
by 村尾鐵男 (2011-11-27 13:41)