創作短編(28):追い腹は切るべきか -6/9 [稲門機械屋倶楽部]
2011-09 WME36 梅邑貫
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それに先立ち、松浦壱岐守隆信は京都大覚寺の江月宗玩(コウゲツ・ソウガン)に相談を持ち掛け、母親を改宗させることを依頼しておりました。さらに松東院の名は江月宗玩によって命名されております。
尚、この江月宗玩は堺の豪商で茶人の津田宗久の子です。津田宗久は千利休と同じ頃の堺の人で、織田信長や豊臣秀吉にも縁の深い豪商で、その子の江月宗玩も茶人としても名を知られておりますが、臨済宗の僧として修行を重ね、いわゆる臨済宗大徳寺派の重鎮でありました。松浦隆信が母親を預けた江戸下谷の廣徳寺も臨済宗大徳寺派に属する寺でした。
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熊澤大膳が思い悩んでいたとき、老中松平伊豆守信綱から使いの者が来て書状を置いて立ち去りました。
その書状には、幕府でも調べたが、平戸の事情は詳しくは判らず、平戸には昔からキリシタンはいないと言う者もいるほどで、評定は平戸に詳しい平戸藩要職の者と浮橋主水を直接対決する形で行うと記されていました。
書状を読んだ熊澤大膳はその書状を居並ぶ同役に渡しながら、呟くように言いました。
「うん。御老中は我等が平戸藩に御厚意をお示しでござる」
書状に目を通した別の者が尋ねました。
「御家老、甚だ素っ気なき文でござりまするが、これで御老中は我が平戸藩を庇ってくれておるのでござりましょうか」
「左様。評定はその日付と刻限を報せるのみが普通でござろう。しかるに、幕府は平戸に疎い故、我等と浮橋主水を対決させると申しておられる」
「はあ」
「まだ判らぬか」
「はあ、よう判りませぬが」
「御老中松平伊豆守は我等に言いたきことを存分に申せと、暗に促されておる。我等が申すこと、何であれお聴き入れ下さるとの思し召しじゃ」
高校時代は「国語」「歴史」「地理」・・・は最高の通信簿でしたが~。
でも今はそれを活かす職業には就いてはいません・・・。
この時間にしか訪問出来なくて申し訳け有りません。
ブログの事は全然「平チャラ」です。
いつも有難うございます。
お休みなさい===~~~GU~GU~GU~。
by ばん (2011-09-23 01:49)