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シアトル便り(第5話) 旧友との再会(1) [安曇野だより]

                                                              .by 下山成人 

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シアトルに着いたら再会したいと考えていた知人友人達が6人いました。 そのうち3人は約10年振り、残りの3人は実に47年振りの再会です。ところがシアトルに着いてみると慌ただしい毎日です。朝7時には起きるのですが家内と一緒に5人分の食事の準備をし、終わって食事の後かたずけをして洗濯、週に2回は絨毯張りの全室を真空掃除機で掃除をし、毎日のように娘の通院の送り迎えやらショッピングで昼間の3時間ほどが消えて4時ごろからは夕食の支度をし、食事の後かたずけを終える頃には夜の8時から9時となってしまいます。9時ごろまで太陽が出ているので夜が短く感じられます。計算が合わないと思われるかもしれませんがゴミ捨てやら、庭の手入れやらこまごました仕事が間にたくさんあるのです。と言った訳で昔のハウスボーイ時代を思い出しながら働いています。

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毎日夜になるとぐったりと疲れが出て日本に居た時に常用していた導眠剤も飲まずに眠れるようになりました。娘婿は外科医と言っても未だ卵で8月上旬に控えた国家昇級試験のための勉強が忙しく家事や育児の手伝いが思うように出来ないのです。私が友人に会いに行くにはどうしても最低4時間ほどの自由時間が必要です。

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初めて数時間の時間が取れたのがシアトル到着後3週間たった7月4日独立記念日でした。

休日で娘婿が自宅にいたので数時間のお暇をもらい予てよりお誘いを受けていた高校同期生有馬氏の自宅パーティーに出かけました。有馬氏は’60年代後半にシアトルに来てFishing BoatLeisure Boatを製造する会社を立ち上げ成功を収めた人物です。

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この日は雲ひとつない晴天で有馬邸に向かう途中の国道I5から見た真っ白なMt.Rainier(タコマ富士とも呼ばれている)は実に雄大で美しいものでした。彼の家は波静かな内海Puget Soundのシーサイドにありました。有馬邸に着いてみると若い世代の日本人達が集まっていました。近くで日本レストランをやっている若夫婦、東日本大震災の被災者の援護に日本に行ってきたばかりという看護婦さん等々です。

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海を見下ろすパテオでのバーベキューをご馳走になりながらお互いの近況を報告しあいました。彼の興したArima Marine International Inc.も最近の景気後退の煽りを受け注文が急激に落ちてしまい彼自ら現場に復帰して頑張っているそうです。それにしても今年6月に会社創設以来6000艇目のボートを製造したことになるというのですから立派な会社です。将来は良いを買い手を見つけ会社を譲りハワイに居を移し余生を楽しむつもりだそうです。この日は小一時間ほど話をしただけで又の再会を約し有馬邸を後にしました。

娘達の家に戻ると丁度日が暮れ始めワシントン湖の対岸のあちらこちらで独立記念日を祝う花火が夜空を焦がし始めました。


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村尾鐵男

シアトル、いいところです。私も仕事で幾度か訪ねていますが、東海岸からシアトルへ着くとホットしました。
ボーイングがシアトル北方100km余のエヴェレットに工場を建てて間もないときに行きましたが、ボーイングのマイクロバスを運転する者も初めてで通り過ぎてしまい、カナダとの国境まで行って引き返しました。

本文中に書かれる「真空掃除機」、下山さんも私達と同じ世代であることを図らずも物語ります。近頃は滅多に聞かない「真空掃除機」です。
by 村尾鐵男 (2011-07-31 20:19) 

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