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善光寺の戒壇めぐり [軽井沢だより]

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雲上殿.jpg善光寺に花見に行った。(4月の24日)

初めて内陣に入って戒壇めぐりをした。

本尊の下をめぐるとご利益があるのだそうで、500円の投資をした。

狭い通路を一回りしてくる。狭いだけじゃない、本当に真っ暗で、手探りで進む、前にいる人だって見えないから、手を差し伸べないといるのかいないのか、まるでわからない。一寸先は闇である。

ようやく光が見える出口に達してほっとする。

考えてみると、これが世の中ではないか、思う。

お天道様は毎日上ると、思っていても、それは、今までそうだった、というだけのことだ。写真は雲上殿の桜花、クリックで拡大します。

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話が変わるが、今から、ほぼ半世紀も前のことだが、東電の新入社員になり、研修中のことを思い出す。

変電所に行った。所長が施設の説明をしてくれる。

開口一番、こう質問した。

皆さん、変電所で一番大切なものは、なんだと思いますか?

誰も答えるものはいなかった。

答えは、蓄電池だ。

変圧器でもない、遮断機でもない。高圧、大電流は、高圧の空気でアークを吹き飛ばして遮断するため、エアコンプレッサーが必要だが、これでもない。大事なのは、電池だ。

変電所だから、外部電源確保などということは、笑い話にもならぬ。

なぜ、蓄電池が枢要なのか。

それは、現状を認識することにある。

操作盤に、変電、送電の状態が表示され、この表示によって、操作が行われるのだから、表示の電源が一番大切だということだ。

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私は、研修を終えて発電所の建設に短い間従事した後、職を変えたが、妙にこの所長の説明は覚えている。

所長のその後はおろか、相貌も覚えていないが。

半世紀まえの電力供給は、火主水従に変わる時代だった。

水力発電から、重油を燃料とする火力発電が主流になろうという時代だった。今重油専焼の発電所は、数少ない。(私の従事した発電機は陰も形も無い、建屋がない、更地になっている。)

LNGの時代だ。そして原子力

50年かけると、主流が変わる。それなら、これから50年かければ、電力、あるいはエネルギーの供給の形態を代えるのは、できるのでは無いか。

暗闇では、先が見えないが、しかし明かりがあっても、その気が無ければ、何も見えないかもしれない。

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I Watanabe


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ぼくあずさ

渡辺さん
半世紀前の今頃、私はFDの三重工場での実習中で電気冷蔵庫の製造ラインにいました。原子力要員として採用されたのに、無理を言って火力設計に配属されました。入社当時、MEW35 の確か小田さんに誘われ、千駄ヶ谷の都立プールに月に1,2日、通いました。その先輩はIBMに移られ、その後の消息は不明です。
変電所で蓄電池が一番重要とのこと、思いつきませんでした。
善光寺さんは高一の修学旅行で参拝後はご無沙汰です、坂東と秩父観音札所67ヶ所をめぐった後に訪ねる予定です。

by ぼくあずさ (2011-05-02 16:24) 

大嶋邦夫

IWさん。 久しぶりです。 まさしく一瞬先は闇です。 アラバマでの竜巻の被災者も想定外で、竜巻多発地帯では地下室があるのですが、殆どこの地方では見られませんでした。 日本の電力、そしてそれを取り巻く業界もこれを機会に変わるでしょう。
by 大嶋邦夫 (2011-05-02 22:09) 

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