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Dirigent Ozawa , Amerikaner und Japaner [軽井沢だより]

Ozawaという名前はアメリカでは小澤征爾を意味する。彼は、中国瀋陽生まれの日本人だが、アメリカ人でもある。

彼は、今年食道がんの手術を受けて、活動を中止していたが、最近松本で、復帰した。だが、短い音楽しかやれない。  New York Timesにインタビュウが掲載されていた。

小澤はBoston Symphony Orchestraの音楽監督を29年やったが、話す英語は、idiosyncraticだそうである。よく見かける言葉だが、いまひとつその語感が伝わらない。辞書に,特異な、と言う訳がある。あるいは個性的とでも、言うことか。

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アメリカ、カナダを通算すれば40年だそうだが。Interview中で、彼は言うのだが、彼は、言葉より、体で音楽する、伝える、と言っている。

しゃべるのは、どの言語を使用しようと苦手らしい。体の動きで指揮をするから、余計腰に負担がかかる。退院しても、腰が、よくなくて歩行が、困難らしい。

アメリカ人だが、Boston loyalistという表現で、彼がいかにBostonに愛着を持っているか、記事は語る。

Celtics:なんでもこれはBostonをホームとするbasket ballのチーム、野球のRed Sox, FootballPatriots

このinter viewerOestreichという人は始めて読んだが、大分小澤に思い入れがあるようだ。

現地松本に早くから来て最初の演奏会から、聞いているようだ。

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小澤は、ちょっと前まで、Wien State Opera OrchestraMusik direktorだったから、Austriaの新聞もこの復帰をかなりの数のmediaが伝えている。

Kurzecomeback Stardirigent Ozawa、が代表的なタイトルだ。

Austriaでも、今年の始めから、病は報道されていたし、Wiener State Operaの音楽監督の交代は、大事件になる。

ドイツ語は苦手で、ほとんど分からないが、comeback,starが、ドイツ語に取り入れられているのは、認識できる。

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この記事を離れて、この指揮者の知らなかった面を私なりに調べた範囲で書く。

征爾という名の由来:板垣征四郎と石原莞爾から一字ずつ取った。

NHK交響楽団を喧嘩して、飛び出した。このときのことを自分で語っている。

アメリカ式に細かく団員に指示した。反発された。

指揮者が指示するのは当たり前のように思うが。これが言葉より全身で指示、指揮するようになった原因かと思うのは、勝手な私の想像である。

指揮者に言葉が要らないわけではないだろうが、自分のやりたい音楽を指示するのに言葉より、全身でそれを表現するのが、得意な人のほうが多いのだ。

タクトの動きだけでは、表現しきりきれないということかも知れない。全身の動きで、表現する指揮といえば、Gustavo Dudamelなんか、その典型かと思われる。

言葉だろうが、体の動き、表情だろうが、団員全員を自分の意思に従わせるのは、簡単ではないと思う。

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カネの力で、この問題を解決する方法がある。政治の世界では、常識だが、カネの力は、どの世界でも強い。

自分でオーケストラを設立する。

英国の指揮者Thomas Beechamは、資産家だった。Royal Philは、その一つらしい。思うがままに指揮をして、思いどーりの、自分の音楽を作った。

私はこの指揮者の指揮したものは、かなり聞いたほうだ。

では、お金がない人はどうするか、それは、銀行に駆けつけることだ。

こんなことに、銀行は貸さないと思うのだが、チャンとそろばんが合えば、貸す。もっとも、どこの国の銀行もそうだという一般化は出来ないが。

ポーランドのピアニストKrystian Zimmermanは、自国のあまりにも有名なショパンのピアノコンチェルト(2曲ある)の演奏に常日頃不満を持っていた。

自分は、ピアノを弾く立場でも、弾きながら指揮をする立場でも、思いどーりの、自分の解釈するショパンにならない。いつも違う、違うと思いながら、演奏するのは、つらい。

銀行か知らないが、多分ポーランドの銀行に相談したら、融資が成立した。

自分で、このショパンの協奏曲だけ演奏するオーケストラを作り、自分で弾き、指揮して、演奏旅行、録音もして、その収益は、返済に十分だったそうだ。

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私もこのCDを持っている。その演奏が、ほかのピアニスト、指揮者のものとどう違うのかは、私には、書くことは出来ない。忘れた。

指揮者の指揮の仕方を垣間見せる、DVDを見たことがある。

中にRichard Straussの指揮をちょっと見せたものがあり、それを別の指揮者, 確かOtto Klempererだったと思うが、解説していた。Berlin Philの定期演奏会。

だるそうに、棒を振っている。だが、しばらくすると急にその動きが早くなる。説明は、こうである。演奏会終了後、決まって仲間とカードのゲームをするのが、いつものことだった。早く遊びたいという気持ちが,テンポの変化となって現れていたのだそうだ。

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なるほど、Richard Straussは、体を張って、自らの意思を表明していたのである。

テレビで小澤は、演奏会場で,詫びていた。自分でも、復活を期していたのだから、それが十分出来なかったのは、つらいし、第二の人生の始まりとおもっていたのだ。

Richard StraussのオペラSalomeも振る予定だったのだ.

それが、チャイコフスキーの弦楽セレナードの一部たった7分だけになってしまった。

“この次はバッチリやります。”

これは、正真正銘の日本語だ。

これはちっともIdiosyncraticではない。

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Slowly,painfully,

http://www.nytimes.com/2010/09/09/arts/music/09ozawa.html?ref=global-home 

Austria news search

http://www.open-info.org/index.php?q=Dirigent+Seiji+Ozawa&type=news 

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I Watanabe  9/10/2010


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村尾鐵男

小澤征爾は満洲の瀋陽で生まれていますが、父親は確か小澤開作と言う名で、瀋陽で歯科医を開業しており、瀋陽協和会を創立した有力者の一人でもあり、その関係と歯科医として石原莞爾や板垣征四郎とも親交があり、瀋陽で生まれた次男か三男の名に一字ずつもらったと何かで読みました。
by 村尾鐵男 (2010-09-10 20:37) 

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