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アメリカ留学時代:1957年製アメリカンフォード(1) [安曇野だより]

                                                                                    ・・・・下山成人記1962年小さいころからの夢であったアメリカ留学を実現する為愛車ダットサンを売って得たお金を資金に横浜より貨客船にてシアトルに向かった。ワシントン州シアトルにあるワシントン大学への留学である。少しアメリカの生活にも慣れた頃学費を稼ぐため大学の紹介でアメリカ人の家庭にハウスボーイとして住み込むこととなった。 

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ハウスボーイとして住み込んだリチャードソン邸はメンバー制プライベートゴルフ場内にあるお城のような豪邸であった。ワシントン湖を見下ろす小高い丘の上にあり3階建てで南面は1階から3階まですべてガラス張りであった。 キャンパス近くの下宿からここに引っ越してきてまず必要となったのが通学用自転車である。また、ブロードモアーは関係者以外の一般人はゲートで許可証を見せないと入場できない地区であり自分の車を持たないと休みの日に外出が難しいのであった。 

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そんな訳で自転車と自動車を買うことにした。自転車は15ドルでリチャードソン夫人の知り合いの息子から買った。自動車の方はホストファミリーのミセス・デービッドソンの友達から200ドルで購入した。自転車は変速ギア付で時々チェ-ンが外れるトラブルを除けば坂道の多い通学路には最適であった。車は1957年製のアメリカンフォードで色は濃紺で全体に丸っこい形をしている。運転席から前を見ると大きなずんぐりしたボネットが見えバスを運転しているような感じがした。日本で乗っていたダットサンが小さかったので特に大きく感じたのかもしれない。 

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だがこの車がものすごい代物であったのである。ボネットのヒンジが片方壊れていてエンジンルームをチェックする時ボンネットを開くのに苦労する。助手席の座席は磨り減ってぽっくり穴の開いたように凹んでいる。又、助手席側のドアは壊れていていつも紐でくくって走行中に開かないようにしている必要があった。サイドブレーキは壊れていて使えない。おかげでサンフランシスコに似て坂道の多いシアトルのダウンタウンでは赤信号に出会うとアクセルとクラッチをたくみに操りバランスをとって停止状態を保っていた。おかげで数ヶ月も経つとクラッチワークが上手くなった。またマフラーも穴だらけで物凄い爆音をたて火花を散らせて走った。こんなぼろ車を使えたのはワシントン州であったからである。

(2)に続く


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